昨日、とても感動する話を聴きました。
今回の大震災による津波で家を流されたMさん。
この春6年生と、4年生になるお子さんがいます。
御主人は盛岡で単身赴任のため、震災当日は地元にいらっしゃいませでした。
Mさんと、Mさんのお母さんは、仙台市内の百貨店で買い物中に地震に見舞われ、
お子さんたちは、沿岸にある小学校で、津波被害を免れたそうです。
海水が行く手を阻み、Mさんが小学校で迎えを待つお子さんたちに会えたのは、翌日の夕方だったそうです。
2階まで海水に浸かったという、避難所になった小学校で一夜を過ごした子供たち。
どれだけ心細かった事でしょう。
今日は、そのお子さんたちが通う小学校で、始業式が行われました。
Mさんの、6年生になったお嬢さんは、児童代表で挨拶をすることになっていたそうです。
(今日無事に式が行われたようなので、挨拶をしました!が正しいかな。。^^)
そのお嬢さんの書いていたという挨拶文の内容を、Mさんが話してくれました。
驚いたのは、冒頭に、3月11日に屋上に避難し、そこから目にした光景が書かれていたという事。
「津波は渦を巻いて、おおいかぶさるように町を消し、たくさんの人の命をうばっていった。
頭が真っ白になって、恐ろしい時間だけが過ぎていった。」とあったそうです。。
Mさんは、ショックだったそうです。
大震災時、子供たちが見たであろう光景を想像をしていたものの、
聞くのが怖かった為、なかなかその話が出来なかったそうです。
「~やっぱりこの子たちは見ていたんだ‥。」
この、いたいけな子供たちが引き受けなければならなかった現実に、
胸が張り裂けそうになったMさんは、お嬢さんにこう言いました。
「こんな風に書いたら、皆怖い体験を思い出したりするんじゃないかな。書かない方がいいんじゃないかな。」
するとお嬢さんは、
「私はこれをどうしても書きたい、書かなければいけないの!」と、強く答えたのだそうです。
そして、
「たくさんの人たちの協力で小学校が再スタートする事になった。」
と感謝の気持ちを述べ、
最後は、
「あの夜、真っ暗な空に輝いていた星たちのように、一生懸命頑張ります。」
と結んだそうです。
この春小学校6年生に進級したばかりの女の子が、
自分の運命から目をそらさずに、しっかりと受け入れる事を自ら選び、
そして、困難にも関わらず、人生にイエスと言おうとしている‥。。
何と言う力でしょう‥。
~実は、この話しを聞いていた場所にはもう一人いて、
その方は、この春中学一年生になったお孫さんの話をしてくれました。
ここにもまた感動がありました。。
そのお孫さんは、サッカーがとても好きで、なかなかセンスが良いらしく、
小学校のときにお世話になったあるコーチから、「君の行く中学校はサッカーが弱くて伸びないから、
学校の部活には入らずにこっちのチームにおいで!」と、言われていたそうです。
もちろん彼もその気満々だったそうですが‥。。
この震災後、お孫さんがこんな事を言ってきたそうです。
「おばぁちゃん!ぼくね、サッカーだけの人生なんていやだと思う。
学校の部活に入るよ。弱いんだったら、ぼくが強くすればいいんだもの!」
~未曾有の大震災、大津波からひと月‥
子供たちは、その小さな体と無垢な心で現実を受け止め、間違いない一歩を踏み出しています。
大人の私の方が、右往左往している‥。。。
こうした子供たちの輝きは、未来への希望ではないでしょうか。
私たち大人は、その輝きが消えてしまう事が無いよう、全力でサポートしていかなければいけません。
もちろん今御紹介した子供たちのように、全く前に踏み出せない子供たちも大勢いるのも事実です。
そして、しっかりしているように見える子供たちの中にも、暗い影の部分が残っているはずです。
けれども、その現実を踏まえながらも、
その闇の先には必ず光があると信じて働きかけていかなければ!と、強く思いました!!!!